数字だけが何かを意味することはあまりない

こんにちは

就職活動の面接で「最近、自分が一番すごいと思ったことは何ですか?」と聞かれ、「本を74冊読みました」と言ったら、反応が微妙だったので、たいしたことなかったのに言ってしまったと反省したという話があった。その話に対するリアクションは、すごい、すごくない、どちらでもない、と様々だったようだ。

本人は反省したらしいが、その人が読んでいるのはビジネス書とか啓発本ばかりだったので、私は、社会人でも読んでいる人は少ないのに学生のうちから読んでいるなんてすごいと思った。しかし「74冊読んだ」という言葉自体はそれを説明するには足りない。


私はこの話は、他人事とは思えなかった。私もこういう経験がある。
私が面接のときは、「ホームページを作りました」言って、「アクセス数はどれくらいですか?」と聞かれた。当時は、まだインターネットを使う人がダイアルアップを使わなければならず、一部の理系の学生くらいしかインターネットを使わなかった時代に、個人で趣味のホームページを作っているだけでヤフーにも登録していないのに、リンクを頼りに一日数十人の人が見てくれた結果が2000だった。そこで、私が答えたのは「2000です」という答えだけ。面接官が微妙なリアクションだったので、分かってもらえなくてがっかりしたものだ。
私は、面接官はそのすごさがわかってくれるものだと思っていた。その数字が何かを意味すると思っていたのでそのリアクションがわからなかった。しかし、事実を説明するために、「アクセス数は2000です」という答えは足りなすぎた。


最近でもたまに言ってしまう。
「サーバーの障害率は1%未満です」とか、「トラブル対応は3時間以内に終わらせました」とか、「システムのレスポンスは1秒以内です」とか。
サーバの障害率が1年で1%だと87時間も停止したことになる。トラブル対応に3時間もかかっていたというのは重要なシステムでは長すぎる。レスポンスでも、画面を操作するのに1回ごとに1秒かかってんじゃ重たすぎて使いものにならない。
数字だけが意味ことは少ない。意味づけがないと受け止める人によって違う意味にとらえてしまう
サーバの障害率にしても、必要目標値が5%以内だったのに1%だったのか、トラブル対応はハード障害で最低でも24時間はかかると見積もったのにハードウェアを別のに急遽切り替えて3時間で復旧したのか。レスポンスは、サーバへSubmitして次の画面が表示するまでの時間の基準値が1.5秒なのにそれ以内に収まったのか、を説明しなければ、その真意は伝わらないと思う。


74冊読んだという言葉が何を意味するかは、人それぞれ違う。例えば、本1つにしてもそれが超難解な哲学書なのか、それともマンガなのかによってそのすごさは違う。哲学書は1冊読むのも大変だが、面白いマンガはあっという間に数十冊は読めてしまう。74冊読んだのもどのくらいの期間かによって違う。74冊をこの1週間で読んだのか、1年で読んだのかによってすごさが違う。74冊は、100ページくらいの文庫本なのか、500ページくらいのハードカバーなのかによっても違う。英語の本なのか日本語なのかによっても違う。73冊の英語のビジネスの本を1年で読みましたというのはすごいことだ。だが、娯楽小説を1年で73冊読んでいるなら、普通か少ないくらいだろう。ジャンルが1つでも専門に特化していればすごいことだし、ジャンルが30でも入門書ならたいしたことはない。

例えば次のように説明すれば、少しは伝わったんじゃないかと私は思う。
(実際のどうなのか分からないので内容は想像だが)

「私は、社会人に読まれている自己啓発本やビジネス本のうち特に私の目指している職種に役立ちそうな74冊を読みました。私は、年間100冊読むことを目標にしており、今年はビジネスの本に絞って多く読みました。金融工学の入門書から論理哲学、企業戦略や啓発本など多様ですがいずれも私は学生で実務経験がないため、読解が難しい本が多数あり特にビジョナリーカンパニーとネクスソサエティは読むのが難しかったです。私は50冊くらいしか読めないと思ったのですが、電車の行き帰りの通学時間を使って頑張った結果74冊読み終えました」

数字は客観的に表す力があるが、それだけが何かを意味するのではない。数字を扱うときにはその数字がいったい何を意味しているのかを説明しなければいけない。
数字だけで人に何かを伝えるのは難しいのだ。

ではまた