なぜ日本が変人を嫌がるのか?

私は多少変人ではあるので、変人やプチ変人を応援したい立場で書いている。

なぜ日本が変人を嫌がるかの理由を前向きに考えてみた。

日本は、学校教育や人材育成では金太郎飴作りみたいな感じ。一つ一つ個性的なものを作っているわけではない。例えるならば、製造業の工場の生産ラインでガッチャンガッチャン金太郎飴を作っている。となると、同じようなのが100%出てくるはずなのだが、なぜかなぜか違うもの(規格外)が出てくる。それを仕損品(不良品)と呼ぶ。仕損品は製品として販売できないので無駄なコストになってしまう。それを極力減らさねばらない。
そういった考え方は、日本人の考え方にマッチしているのか、日本人規格にぴったり合ったものを作るのに長けている。だから、日本の品質は高く不良品率が極めて低いと思われる。あまりに規格外すぎるものは、新しい発見や発明として存在を認められるかもしれない。しかし、プチ変人クラスでは日本という金太郎飴の大量生産工場の中では仕損品とみなされてしまう。

とはいえ、多少質のいい仕損品であれば、日本でもアウトレット品がたくさん売られているように、日本においても質のいい仕損品プチ変人を許容し受け入れようとする人も少なからず存在するだろう。だから、プチ変人があえて規格内に収まろうと必死になることはない。むしろ、プチ変人クラスで納得して留まっていてはだめで、とことん規格外の変人になれるよう成長することでその殻を破ることができるのだ。