プログラマがいつまでも下請け工場やってると・・・

こんにちは

http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/bn/080623.html

こないだカンブリア宮殿の 奥山 清行さんの回見てたら、身につまされた。
すぐれた技術を持っていても、それを生かす独自の優れた製品を生み出せていない、という事実は、伝統工芸のモノ作りだけでなく、プログラムの世界にも当てはまるよなぁ。

私もプログラマですが、下請けばっかりやってた。クライアントから要件きて、仕様作って、その通りにモノを作ることをずっとやってた。いろんなタイプのプログラムを組んできた。経験もあった。普通の人と比べたら、自分の方が素早く品質が高く良いプログラムを作ることができた。その分野に関しては、技術を身に付けてきたし、自負もあった。

でも、海外(アジア)の人と一緒に仕事をやるようになってから、そういう自負もうすれてしまった。海外の人材も海外でプログラムやってる人って結構優秀な人が多くて、同じように下請け的なことをやってもらうと、同じようなことをもっと素早くできてしまう。

私が関わったものについて言えば、彼ら海外のプログラマが書いてたプログラムは、自分が書くプログラムよりも美しいのが多かった。簡潔で無駄がない。品質もよかった。優秀人材が作ってるんだなと思った。こういった仕事はどんどん取られちゃうなって思った。すぐに自信なくなった。その頃からか、下請的な仕事のやり方じゃだめなんだと思うようになった。言われたことをその要件を100%近く満たすようやっていくようなやり方では、勝てないんだよな。

あるとき、プログラムを見てたとき、日本人が書くプログラムと似てることに気づいた。それは、今まででは何ら疑問も感じなかった、システムが動くためのプログラムだった。クライアントから要件を聞いて、それが動くように一から作り上げられた、プログラムだった。下請けとしての高い技術力だけだった。それが当たり前と思ってた。

そこには彼らなりの独創性やアイデアといったものは無かった。彼らは優秀な下請け工場であってそれ以上ではない。自分が下請けみたいに同じことをしていても勝てないんだなと思った。そこからいろいろ模索して、技術を生かす物作りを考えて、プログラムのアセット化っていう独自のを作り上げた。

プログラムのアセット化を模索してたときが、伝統工芸の町工場が独自の商品を作るのと似ているなって思って、共感した。

ではまた